湊川神社
湊川神社
御祭神
楠木正成公(くすのきまさしげこう)
鎮座地
兵庫県神戸市中央区多聞通
三宮を通り過ぎてしまい、やってきたのは湊川神社です。
明治元年(1868)明治天皇の勅によって創祀された神社であり、
建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社なのです。
かつて足利尊氏と、後醍醐天皇側の新田義貞・楠木正成軍が激突した「湊川の戦い(1336年)」で、
敗れた楠木正成が最期を迎えた場所に建てられたそうです。
こちらは手水舎。鉄筋コンクリート製なのは戦災により焼失して再建されたためだと思います。
拝殿はちょっとクリーム色っぽいのが特徴です。
手水舎同様、戦災によって焼失したものを、昭和27年10月24日に復興新築されたもので、
様式は権現造(ごんげんづくり)に似た八棟造り(はちむねづくり)とされ、
鉄筋コンクリート造で建てられております。
拝殿天井(はいでんてんじょう)の絵は、全国著名画家の奉納によるものだそうで、
様々な絵が掲げられていました。
そして正成公の墓所です。
最初の写真の右側に入り口が設けられていました。
徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」と刻んで立てた石碑があります。
こちらの神社も市街地に鎮座されておりますが、社叢が広くて明るい雰囲気がよかったです。
また、地元では「楠公(なんこう)さん」の愛称で親しまれている神社なのだそうです。
御祭神
楠木正成公(くすのきまさしげこう)
鎮座地
兵庫県神戸市中央区多聞通
三宮を通り過ぎてしまい、やってきたのは湊川神社です。
明治元年(1868)明治天皇の勅によって創祀された神社であり、
建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社なのです。
かつて足利尊氏と、後醍醐天皇側の新田義貞・楠木正成軍が激突した「湊川の戦い(1336年)」で、
敗れた楠木正成が最期を迎えた場所に建てられたそうです。
こちらは手水舎。鉄筋コンクリート製なのは戦災により焼失して再建されたためだと思います。
拝殿はちょっとクリーム色っぽいのが特徴です。
手水舎同様、戦災によって焼失したものを、昭和27年10月24日に復興新築されたもので、
様式は権現造(ごんげんづくり)に似た八棟造り(はちむねづくり)とされ、
鉄筋コンクリート造で建てられております。
拝殿天井(はいでんてんじょう)の絵は、全国著名画家の奉納によるものだそうで、
様々な絵が掲げられていました。
そして正成公の墓所です。
最初の写真の右側に入り口が設けられていました。
徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」と刻んで立てた石碑があります。
こちらの神社も市街地に鎮座されておりますが、社叢が広くて明るい雰囲気がよかったです。
また、地元では「楠公(なんこう)さん」の愛称で親しまれている神社なのだそうです。