美濃國 南宮大社
南宮大社(なんぐうたいしゃ)
御祭神
金山彦命(かなやまひこのかみ)
鎮座地
岐阜県不破郡垂井町宮代峯
関ヶ原にほど近い岐阜県垂井町に鎮座。
美濃国一宮であり、近代社格制度のもとで1925年に国幣大社に昇格し、
戦後、南宮大社と改称したのだそうです。
駐車場から境内を目指すと社号標がありました。
関ヶ原合戦で焼失し、徳川家光が再建した社殿は十五棟が重要文化財という事は
この楼門もそうなのでしょうね♪
正面の太鼓橋は渡ることが許されていないので迂回です。
石灯篭もきれいに並んでいました。
楼門をくぐって最初に目に付くのは高舞殿(こうぶでん)と呼ばれる建物です。
要するに舞殿の事なのですが、朱塗りが珍しいです。
忘れてはいけない手水舎はというと、これまた朱塗りなのはいいのですが、
瓦葺っていうのがおしい~。
こちらは拝殿になります。
建築様式は、和様と唐様を混用した独特の様式であることから、南宮造と呼ばれているのだそうです。
和様と唐様の違いといっても、私が知る限り尾垂木の断面が四角形が和様で
五角形が唐様というくらいしか把握しておりません...写真では分かりにくいのですが、五角形になってます。
他の社殿には鮮やかな彩色がされているのに対して、
本殿は素木造りなのでした。
敷地内には椿の森もあり、別名「椿大社」とも呼ばれ、
全国の鉱山、金属業の総本宮として深い信仰を集めているのだそうです。
御祭神
金山彦命(かなやまひこのかみ)
鎮座地
岐阜県不破郡垂井町宮代峯
関ヶ原にほど近い岐阜県垂井町に鎮座。
美濃国一宮であり、近代社格制度のもとで1925年に国幣大社に昇格し、
戦後、南宮大社と改称したのだそうです。
駐車場から境内を目指すと社号標がありました。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233612.jpg)
関ヶ原合戦で焼失し、徳川家光が再建した社殿は十五棟が重要文化財という事は
この楼門もそうなのでしょうね♪
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233616.jpg)
正面の太鼓橋は渡ることが許されていないので迂回です。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233621.jpg)
石灯篭もきれいに並んでいました。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233628.jpg)
楼門をくぐって最初に目に付くのは高舞殿(こうぶでん)と呼ばれる建物です。
要するに舞殿の事なのですが、朱塗りが珍しいです。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233633.jpg)
忘れてはいけない手水舎はというと、これまた朱塗りなのはいいのですが、
瓦葺っていうのがおしい~。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233636.jpg)
こちらは拝殿になります。
建築様式は、和様と唐様を混用した独特の様式であることから、南宮造と呼ばれているのだそうです。
和様と唐様の違いといっても、私が知る限り尾垂木の断面が四角形が和様で
五角形が唐様というくらいしか把握しておりません...写真では分かりにくいのですが、五角形になってます。
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233641.jpg)
他の社殿には鮮やかな彩色がされているのに対して、
本殿は素木造りなのでした。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001233645.jpg)
敷地内には椿の森もあり、別名「椿大社」とも呼ばれ、
全国の鉱山、金属業の総本宮として深い信仰を集めているのだそうです。