馬見岡綿向神社
馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)
御祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
天夷烏命(あめのひなどりのみこと)
武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)
鎮座地
滋賀県蒲生郡日野町村井
以前から伺おうと思っていた滋賀県の神社です。
到着したものの雨が強くて、しばし車で待機。
こんな雨の日に参拝なんて思ってもみなかったのですが、時間がもったいないので境内へ入ります。
欽明天皇6年(西暦545年) 霊峰『綿向山』の頂上に、神武天皇の御宇、出雲国の開拓の祖神を迎え祀り、
頂上に祠を建てたのが始りと伝えられているそうです。
こんな日だからこそでしょうか?雨音が響き渡る境内は独特の雰囲気が漂っているのです。
太鼓橋は通る事が許されておりませんので、迂回していきます。
拝殿は入母屋造に唐破風の付いた豪華な造り。
ふと、中を覗くと先客が御祈祷されておりました。
手水舎で一時待機させていただく事に。
本殿周辺は回廊が設けられているので、雨を避けて一回りできます。
たまたまこういう造りの神社で助かりました。
普段はあまり興味を示さないのですが、ここに飾られている絵馬は迫力有りました。
治三年(1557年)の祭礼渡御の様子でこの年、日野城主であった 蒲生定秀(蒲生氏郷の祖父)が
三基の神輿を新調寄進し、その時の様子が描かれたものなのだそうです。
本殿は宝永 4年(1707)に再建されたもの。
大正6年(1917)に内陣を改造、昭和58年(1983)に屋根を桧皮葺から銅版葺に改め、
平面は桁行・梁間ともに三間で切目柵を廻し、正面に浜縁が設けられてます。
屋根は入母屋造で正面に千鳥破風、軒唐破風造の向拝を付け、
前面に向唐破風造の拝所を備えた凝った造りなのでした。
祈祷中は参道正面でのカメラ撮影は控えるようにとの立て札がありましたのでやや斜めから撮影です。
でも、本殿での参拝はしっかりと正面にて行わせていただきましたけど。
本殿裏からのショットですが、雨がすごい勢いですね。
幸いな事に風がほとんど吹いてなかったので、そんなに濡れることなく参拝を終える事が出来ました。
境内の水捌けも良く、向拝も大きいので参拝する分には問題ありません。
時間はまだお昼前でしたので、まだまだ巡れるって思いながら次の神社へと向かいました。
御祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
天夷烏命(あめのひなどりのみこと)
武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)
鎮座地
滋賀県蒲生郡日野町村井
以前から伺おうと思っていた滋賀県の神社です。
到着したものの雨が強くて、しばし車で待機。
こんな雨の日に参拝なんて思ってもみなかったのですが、時間がもったいないので境内へ入ります。
欽明天皇6年(西暦545年) 霊峰『綿向山』の頂上に、神武天皇の御宇、出雲国の開拓の祖神を迎え祀り、
頂上に祠を建てたのが始りと伝えられているそうです。
こんな日だからこそでしょうか?雨音が響き渡る境内は独特の雰囲気が漂っているのです。
太鼓橋は通る事が許されておりませんので、迂回していきます。
拝殿は入母屋造に唐破風の付いた豪華な造り。
ふと、中を覗くと先客が御祈祷されておりました。
手水舎で一時待機させていただく事に。
本殿周辺は回廊が設けられているので、雨を避けて一回りできます。
たまたまこういう造りの神社で助かりました。
普段はあまり興味を示さないのですが、ここに飾られている絵馬は迫力有りました。
治三年(1557年)の祭礼渡御の様子でこの年、日野城主であった 蒲生定秀(蒲生氏郷の祖父)が
三基の神輿を新調寄進し、その時の様子が描かれたものなのだそうです。
本殿は宝永 4年(1707)に再建されたもの。
大正6年(1917)に内陣を改造、昭和58年(1983)に屋根を桧皮葺から銅版葺に改め、
平面は桁行・梁間ともに三間で切目柵を廻し、正面に浜縁が設けられてます。
屋根は入母屋造で正面に千鳥破風、軒唐破風造の向拝を付け、
前面に向唐破風造の拝所を備えた凝った造りなのでした。
祈祷中は参道正面でのカメラ撮影は控えるようにとの立て札がありましたのでやや斜めから撮影です。
でも、本殿での参拝はしっかりと正面にて行わせていただきましたけど。
本殿裏からのショットですが、雨がすごい勢いですね。
幸いな事に風がほとんど吹いてなかったので、そんなに濡れることなく参拝を終える事が出来ました。
境内の水捌けも良く、向拝も大きいので参拝する分には問題ありません。
時間はまだお昼前でしたので、まだまだ巡れるって思いながら次の神社へと向かいました。