前田慶次供養塔

前田慶次供養塔

所在地 山形県米沢市万世町堂森山下375

前田慶次は加賀の前田利家の甥にあたるが、
その天来の奔放さから前田家を出て京都で浪人をしていた。
その時期に直江兼続に出会い、上杉景勝の人柄にほれ込み、
求めに応じ、関ヶ原の戦いを控えた時期に、兼続の与力として上杉家に仕官した。

西軍敗退により上杉氏が30万石に減封され米沢に移ると、
慶次もこれに従い、わずかな禄のみを受け取りこの地に隠棲した。
隠棲後は兼続とともに「史記」に注釈を入れたり、
和歌や連歌を詠むなど自適の生活を送ったと伝えられるそうです。

山門です。
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慶次の力石
里人との力自慢で持ち上げたそうです。
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本殿
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供養塔
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傾奇者と呼ばれながらも権力に屈しない男気を持ち、
風流を愛して戦国の世を自由に生きた男、それが前田慶次です。
悠々自適にこの地を愛し郷民と親しみ
慶長17年6月4日 70歳の生涯を閉じたの事。

個人的に好きな武将の一人です。
安らかにお眠りください。