肥後國 阿蘇神社
肥後國 阿蘇神社
御祭神
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと)
ほか10柱
鎮座地
熊本県阿蘇市一の宮町宮地
熊本県に足を踏み入れました。
途中、雪が降ってきたりして天気が心配されましたが、なんとか到着です。
肥後一ノ宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州征伐の際に社領を没収され、
その後、領主となった加藤清正、肥後藩主として入国した細川氏によって、
社領の寄進、社殿の造修が行われてきたようです。
全国でも類を見ない横参道は社殿に対し、平行に設けられているのです。
阿蘇神社といえば、「日本三大桜門」に数えられる高さ18mといわれる二重楼門が有名です。
個人的に楼門が好きで、よく足を止めて鑑賞しますが、神社で二重楼門は初めての気がします。
どことなく寺院の雰囲気を纏っておりました。
楼門のインパクトが強すぎて見落としてしまいそうな手水舎。
楼門の壁に飾られている「龍頭の額」(魔よけの龍)は、
楼門の竣工を記念して弘化三年に奉納されたものと伝えられています。
アップで見るとかっこいいです!
どっしりとした構えの拝殿
その後方に一の神殿と二の神殿及び三の神殿が建って、左右対称の構成。
境内の建物の屋根は銅版葺きで統一されているようです。
拝殿向かって左に鎮座する一の神殿
右奥には三の神殿が見えます。
続いて反対側の二の神殿
入母屋造の五間社で一の神殿と全く同じ造りです。
裏か見るとこういう配置で、三の神殿はちょっと奥に建てられているのです。
拝殿から見ると三の神殿が正面なんですけど。。。
1871年(明治4年)に国幣中社に列格し、1890年(明治23年)に官幣中社、
1914年(大正3年)に官幣大社に昇格されたとのこと。
古くから農業の神として尊崇され、五穀豊穣を祈り、茅の松明に火をつけ振り回す
「火振神事」が有名だそうです。
御祭神
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと)
ほか10柱
鎮座地
熊本県阿蘇市一の宮町宮地
熊本県に足を踏み入れました。
途中、雪が降ってきたりして天気が心配されましたが、なんとか到着です。
肥後一ノ宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州征伐の際に社領を没収され、
その後、領主となった加藤清正、肥後藩主として入国した細川氏によって、
社領の寄進、社殿の造修が行われてきたようです。
全国でも類を見ない横参道は社殿に対し、平行に設けられているのです。
阿蘇神社といえば、「日本三大桜門」に数えられる高さ18mといわれる二重楼門が有名です。
個人的に楼門が好きで、よく足を止めて鑑賞しますが、神社で二重楼門は初めての気がします。
どことなく寺院の雰囲気を纏っておりました。
楼門のインパクトが強すぎて見落としてしまいそうな手水舎。
楼門の壁に飾られている「龍頭の額」(魔よけの龍)は、
楼門の竣工を記念して弘化三年に奉納されたものと伝えられています。
アップで見るとかっこいいです!
どっしりとした構えの拝殿
その後方に一の神殿と二の神殿及び三の神殿が建って、左右対称の構成。
境内の建物の屋根は銅版葺きで統一されているようです。
拝殿向かって左に鎮座する一の神殿
右奥には三の神殿が見えます。
続いて反対側の二の神殿
入母屋造の五間社で一の神殿と全く同じ造りです。
裏か見るとこういう配置で、三の神殿はちょっと奥に建てられているのです。
拝殿から見ると三の神殿が正面なんですけど。。。
1871年(明治4年)に国幣中社に列格し、1890年(明治23年)に官幣中社、
1914年(大正3年)に官幣大社に昇格されたとのこと。
古くから農業の神として尊崇され、五穀豊穣を祈り、茅の松明に火をつけ振り回す
「火振神事」が有名だそうです。