諏訪大社下社春宮再訪

諏訪大社最後の一社は下社春宮です。
秋宮に比べると人気が無いのがちょっと悲しい。。。
やや小さな規模ながらも参道の雰囲気は良いものです。

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楽殿も小ぶりな感じですが、注連縄が飾られていて信濃一宮の一角を担う風格が感じられます。

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こちらの社殿を造営したのは当時、藩の御用大工であった大隅
江戸から帰って諏訪立川流を興した初代立川和四郎富棟に秋宮造営のお声が掛かり、
ならば、と春宮造営を是非にと願い出たのです。

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ところが、同時に春秋両方の造営をするのでは、費用がかさむ・・・、とふたつ返事を得られません。
立川和四郎富棟が金80両と扶持米80俵で請け負った秋宮に対し、
大隅流棟梁の柴宮長左衛門は、35両扶持米なしで春宮を引き受けて、不足額は自分で集めたのです。

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こうしてほぼ同時に同じ構造の社殿の造営を命じられ、腕比べをしたのです。

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お互いをライバルと認めていたものの、いさかいもしばしば発生したらしく、
先に完成した春宮を立川和四郎富棟が見に来て正面欄間の竜を見て
「死んだ竜が彫ってある」とけなした。そうです。
これに対し、柴宮長左衛門は「悟りを開くと動物でも腹を出して休むのを知らないのか」と
言い返したといわれています。

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費用も無い大隅流が安く、早く社殿を完成させることができた要因は
方拝殿の屋根を片切りにするなどし、材料や手間を省いたことにあると推測できます。
正面から見ればどちらの社殿も同じに見えてしまうのですから。

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時の二大流派である立川流大隅流が技を競い合い造営した二つの社殿。
どちらが好みなのか、そんな視点で訪れてみるのもたまには良いのではないでしょうか。

私は大隅流推しですが。。。