高倉神社
高倉神社
御祭神
高倉以仁王
鎮座地
京都府綾部市高倉町
綾部市を走り回って次に着いたのが高倉神社です。
治承の乱後、吉美郷(現在の里町)にて死去した後白河天皇第二皇子高倉宮以仁王の霊廊を
養和元年(1181年)九月九日に当社地に遷し、高倉天一位大明神として勧請したのに始まるそうです。
とても重厚な拝殿でした。
こちらの拝殿は江戸中期に建てられたというもので、もともとは本殿として使われていたものだとか。
だとしたら、相当大きな構えの神社であったのでしょう。彫刻も施されておりました。
向拝の彫刻はたぶん『張良と黄石公』でしょうか。
まさか京都でお目に掛かるとは思わなかったです。
中国の話しですが、黄石公が馬に乗って張良の傍を通りすぎた時、黄石公の沓(靴)が脱げ、地面に転がったのを
「取って、履かせよ。」と言ったという場面。続きがあるけど、奥が深い~。
本殿は一間社流造で、社殿全体としては透塀も備わり整った感じです。
拝殿においては京都府登録有形文化財とされているそうです。
暑い中、文句の一つも言わずに佇む狛犬。
今回も時間に余裕の無い強行スケジュールだった為、ゆっくりと拝観する事叶わず。
再訪してゆっくりと彫刻を観賞したいと思い、次の神社へと向かいました。
御祭神
高倉以仁王
鎮座地
京都府綾部市高倉町
綾部市を走り回って次に着いたのが高倉神社です。
治承の乱後、吉美郷(現在の里町)にて死去した後白河天皇第二皇子高倉宮以仁王の霊廊を
養和元年(1181年)九月九日に当社地に遷し、高倉天一位大明神として勧請したのに始まるそうです。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001222952.jpg)
とても重厚な拝殿でした。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001223000.jpg)
こちらの拝殿は江戸中期に建てられたというもので、もともとは本殿として使われていたものだとか。
だとしたら、相当大きな構えの神社であったのでしょう。彫刻も施されておりました。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001223007.jpg)
向拝の彫刻はたぶん『張良と黄石公』でしょうか。
まさか京都でお目に掛かるとは思わなかったです。
中国の話しですが、黄石公が馬に乗って張良の傍を通りすぎた時、黄石公の沓(靴)が脱げ、地面に転がったのを
「取って、履かせよ。」と言ったという場面。続きがあるけど、奥が深い~。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001223012.jpg)
本殿は一間社流造で、社殿全体としては透塀も備わり整った感じです。
拝殿においては京都府登録有形文化財とされているそうです。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001223019.jpg)
暑い中、文句の一つも言わずに佇む狛犬。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001223025.jpg)
今回も時間に余裕の無い強行スケジュールだった為、ゆっくりと拝観する事叶わず。
再訪してゆっくりと彫刻を観賞したいと思い、次の神社へと向かいました。