北畠神社
北畠神社(きたばたけじんじゃ)
御祭神
北畠顕能公(きたばたけあきよしこう)
鎮座地
三重県津市美杉町上多気
同じ津市内の『結城神社』から、山側に向かって走り、ようやく到着♪
(ナビがかなり迂回して誘導してたのは気のせいか。。。)
結城神社と同じ建武中興十五社の一社です。
御祭神の北畠顕能公は南朝側の伊勢国司に任じられ、
伊勢国一志郡に霧山城を築き、それ以後北畠氏は伊勢国司を八代継ぎますが、
戦国時代に入り織田信長に滅ぼされ、と同時に北畠氏の屋敷跡は
耕地となってしまったそうです。
以後、耕地となった屋敷跡を、北畠一族の末裔鈴木孫兵衛家次が、
小祠を設けて、北畠八幡宮と称したのが北畠神社の創始とされるそうです。
拝殿前に聳える御神木は圧倒的な存在感。
木々に囲まれるように立てられた社殿
静寂の中で厳かな雰囲気を醸し出していました。
ちょうどいい感じに『建武中興十五社』を表記した看板発見。
こちらで七社目の参拝であることが判明。
このあと最短ルートで松坂市を目指しますが、
すごい山道を走った事が思い出されます。
ナビが迂回誘導するはずです。。。
御祭神
北畠顕能公(きたばたけあきよしこう)
鎮座地
三重県津市美杉町上多気
同じ津市内の『結城神社』から、山側に向かって走り、ようやく到着♪
(ナビがかなり迂回して誘導してたのは気のせいか。。。)
結城神社と同じ建武中興十五社の一社です。
御祭神の北畠顕能公は南朝側の伊勢国司に任じられ、
伊勢国一志郡に霧山城を築き、それ以後北畠氏は伊勢国司を八代継ぎますが、
戦国時代に入り織田信長に滅ぼされ、と同時に北畠氏の屋敷跡は
耕地となってしまったそうです。
以後、耕地となった屋敷跡を、北畠一族の末裔鈴木孫兵衛家次が、
小祠を設けて、北畠八幡宮と称したのが北畠神社の創始とされるそうです。
拝殿前に聳える御神木は圧倒的な存在感。
木々に囲まれるように立てられた社殿
静寂の中で厳かな雰囲気を醸し出していました。
ちょうどいい感じに『建武中興十五社』を表記した看板発見。
こちらで七社目の参拝であることが判明。
このあと最短ルートで松坂市を目指しますが、
すごい山道を走った事が思い出されます。
ナビが迂回誘導するはずです。。。