上田城は
天正11年(1583年)に
真田昌幸が築城、
堅牢な城で徳川の大軍を2度も退けたという戦歴を誇ります。
南櫓(左) 東虎口櫓門(中央) 北櫓 (右)
お堀
真田石と呼ばれる巨大な石で、北櫓の南側の石垣にはめ込まれています。
真田昌幸が
上田城築城の際、太郎山から掘り出したこの大石を「真田石」と名づけたそうです。
その子信之が松代に移封の時、この石を家宝として持っていこうとしたが、
微動だにしなかったと言われています。
門を下から見上げるとこんな感じです。
梁がとても太いですね。
積上げられた石垣が見事です。
本丸跡 現在は公園として整備されていました。
西櫓
関ヶ原の合戦後、徳川に没収され徹底的に破壊され、
現存する
上田城の隅櫓や石垣は、
寛永三から五年(1626-28)にかけて
仙石忠政によって築き直されたものだそうです。忠政による
上田城再築は、忠政の死によって中断し、
堀や石垣などは完成したものの、本丸は未完成に終わり、
天守閣は建てられず、7棟の二層隅櫓と2棟の櫓門が建てられたそうです。
上田城は仙石氏の後
松平氏によって受け継がれ
明治維新を迎えたとの事。