上御霊神社
上御霊神社
御祭神
崇道天皇(すどうてんのう)
井上内親王(いのえないしんのう)
他戸親王(おさべしんのう)
藤原吉子(ふじわら のよしこ)
橘逸勢(たちばな のはやなり)
文屋宮田麿(ふんやのみやたまろ)
吉備真備(きびのまきび)
火雷神(ほのいかづちのかみ)
鎮座地
京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊堅町
平安遷都にあたり延暦13年(794)桓武天皇が平安京の守り神として
崇道天皇(早良親王)の御神霊を祀ったのが始まりだそうです。
一ノ鳥居には菊の紋が見えます。
見事な楼門は伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられているのだそうです。
手水舎はとても綺麗に保たれています。
拝殿の規模は下御霊神社と同じくらでしょうか。
応仁元年(1467)畠山政長がここに陣を敷き
畠山義就と戦いを交えたのが応仁の乱の発端となったのです。
そして、西軍の陣地となったことから「西陣」との地名が残ったのだそうです。
当時天変地異や疫病が相次いで起こり、、非運の中に亡くなられた人々の祟りであるとされ、
その人々の神霊を丁重にお祀りすることによって、災いをなくそうと生まれた信仰が御霊信仰で
そしてそのお祭りを御霊会というのだそうです。
社殿は宝暦五年(1755)禁裏の内侍所の建物を賜って造営されたとの事
この神社の境内は時代劇のロケなどによく使われているのだそうです。
そんな話を聞くと親近感が持てるのではないでしょうか?
御祭神
崇道天皇(すどうてんのう)
井上内親王(いのえないしんのう)
他戸親王(おさべしんのう)
藤原吉子(ふじわら のよしこ)
橘逸勢(たちばな のはやなり)
文屋宮田麿(ふんやのみやたまろ)
吉備真備(きびのまきび)
火雷神(ほのいかづちのかみ)
鎮座地
京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊堅町
平安遷都にあたり延暦13年(794)桓武天皇が平安京の守り神として
崇道天皇(早良親王)の御神霊を祀ったのが始まりだそうです。
一ノ鳥居には菊の紋が見えます。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001224008.jpg)
見事な楼門は伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられているのだそうです。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001224014.jpg)
手水舎はとても綺麗に保たれています。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001224020.jpg)
拝殿の規模は下御霊神社と同じくらでしょうか。
応仁元年(1467)畠山政長がここに陣を敷き
畠山義就と戦いを交えたのが応仁の乱の発端となったのです。
そして、西軍の陣地となったことから「西陣」との地名が残ったのだそうです。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001224030.jpg)
当時天変地異や疫病が相次いで起こり、、非運の中に亡くなられた人々の祟りであるとされ、
その人々の神霊を丁重にお祀りすることによって、災いをなくそうと生まれた信仰が御霊信仰で
そしてそのお祭りを御霊会というのだそうです。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001224036.jpg)
社殿は宝暦五年(1755)禁裏の内侍所の建物を賜って造営されたとの事
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001224039.jpg)
この神社の境内は時代劇のロケなどによく使われているのだそうです。
そんな話を聞くと親近感が持てるのではないでしょうか?