内々神社
内々神社(うつつじんじゃ)
鎮座地
愛知県春日井市内津町上町
御祭神
建稻種命(たけいなだねのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀姫命(みやすひめのみこと)
春日井市東部に鎮座される内々神社は延喜式神名帳にも記された古社であり、
日本武尊が東国平定の帰路、この地に差し掛かったとき
尾張の祖といわれる建稲種命が水死したことを知り、
「現哉(うつつかな)」と泣き悲しみ、霊を祀ったのが始まりと云われているそうです。
手水舎の屋根には雪が残っていました。
拝殿は文化10年(1813)の再建であり、
大工は信州諏訪の立川流を招いて造営に当たらせたのだそうです。
前回の深川神社ではよく見えなかったのですが、
こちらでじっくり見れると思ったので先を急いだのでした。
海老虹梁の龍
向拝
木鼻獅子
本殿も装飾が豊かでした。
三間社流造で現在は銅版葺きですが、以前は檜皮葺だったそうです。
本殿の後ろは庭園が設けられています。
この季節は殺伐としたものですが、秋の紅葉の季節は色鮮やかな風景を楽しむことが出来るのだそうです。
武将の崇敬も厚く、慶長二年(1597)には、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に
戦勝を祈願して社頭の大杉七本を伐採して帆柱としたなどの伝承もある神社です。
静かな佇まいの中にひっそりと祀られていたのでした。
鎮座地
愛知県春日井市内津町上町
御祭神
建稻種命(たけいなだねのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀姫命(みやすひめのみこと)
春日井市東部に鎮座される内々神社は延喜式神名帳にも記された古社であり、
日本武尊が東国平定の帰路、この地に差し掛かったとき
尾張の祖といわれる建稲種命が水死したことを知り、
「現哉(うつつかな)」と泣き悲しみ、霊を祀ったのが始まりと云われているそうです。
手水舎の屋根には雪が残っていました。
拝殿は文化10年(1813)の再建であり、
大工は信州諏訪の立川流を招いて造営に当たらせたのだそうです。
前回の深川神社ではよく見えなかったのですが、
こちらでじっくり見れると思ったので先を急いだのでした。
海老虹梁の龍
向拝
木鼻獅子
本殿も装飾が豊かでした。
三間社流造で現在は銅版葺きですが、以前は檜皮葺だったそうです。
本殿の後ろは庭園が設けられています。
この季節は殺伐としたものですが、秋の紅葉の季節は色鮮やかな風景を楽しむことが出来るのだそうです。
武将の崇敬も厚く、慶長二年(1597)には、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に
戦勝を祈願して社頭の大杉七本を伐採して帆柱としたなどの伝承もある神社です。
静かな佇まいの中にひっそりと祀られていたのでした。