松平東照宮
松平東照宮(まつだいらとうしょうぐう)
御祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
徳川家康公(とくがわいえやすこう)
松平親氏公(まつだいらちかうじこう)
鎮座地
愛知県豊田市松平町赤原
続いての東照宮は松平東照宮でした。
正式名称を「八幡神社松平東照宮」といい、
徳川家康の始祖である初代・松平太郎左衛門親氏公がこの地に居をかまえ、
氏神として若宮八幡を勧請したのがはじまりと伝えられています。
写真の順番が逆ですが、お城のような感じの場所に鎮座されているのです。
質素な造りの手水舎。
手水鉢を下から支えていらっしゃるのは【がまん様】でした。
愛知県は多いのかな~。
1619年(元和5年)に久能山東照宮から徳川家康公の御分霊を勧請、奉祀され、
1916年(大正5年)に松平郷内の無格社3社を合併、
1965年(昭和40年)に初代・松平親氏公が合祀され、神社名を「八幡神社」から「松平神社」へと変更。
その後、1983年(昭和58年)に現在の名称へと変更され、現在に至っているという事で、
東照宮と呼ばれるようになったのは最近なのです。
賽銭箱の【丸に三つ葵】の神紋
本殿はシンプルな一間社流造り
そして奥の院へと続く門。同じ境内の中にあります。
こちらは産湯の井戸と呼ばれるもの。
松平家は代々この井戸の水を産湯に用いており、
1542年(天文11年)12月26日、岡崎城で松平(のちに徳川と改姓)家康が生まれた際、
松平太郎左衛門家7代当主・親長がこの井戸の水を竹筒に詰めて速馬で運び、
産湯に用いたという記録が残っているそうです。
最後は産八幡のお宮です。
この辺りは松平氏の発祥地として有名な松平郷。
松平東照宮の他にも高月院など、ゆかりの地も数多く存在し、観光として十分に楽しめる所でした。
御祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
徳川家康公(とくがわいえやすこう)
松平親氏公(まつだいらちかうじこう)
鎮座地
愛知県豊田市松平町赤原
続いての東照宮は松平東照宮でした。
正式名称を「八幡神社松平東照宮」といい、
徳川家康の始祖である初代・松平太郎左衛門親氏公がこの地に居をかまえ、
氏神として若宮八幡を勧請したのがはじまりと伝えられています。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213542.jpg)
写真の順番が逆ですが、お城のような感じの場所に鎮座されているのです。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213548.jpg)
質素な造りの手水舎。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213553.jpg)
手水鉢を下から支えていらっしゃるのは【がまん様】でした。
愛知県は多いのかな~。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213557.jpg)
1619年(元和5年)に久能山東照宮から徳川家康公の御分霊を勧請、奉祀され、
1916年(大正5年)に松平郷内の無格社3社を合併、
1965年(昭和40年)に初代・松平親氏公が合祀され、神社名を「八幡神社」から「松平神社」へと変更。
その後、1983年(昭和58年)に現在の名称へと変更され、現在に至っているという事で、
東照宮と呼ばれるようになったのは最近なのです。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213600.jpg)
賽銭箱の【丸に三つ葵】の神紋
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213605.jpg)
本殿はシンプルな一間社流造り
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213608.jpg)
そして奥の院へと続く門。同じ境内の中にあります。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213612.jpg)
こちらは産湯の井戸と呼ばれるもの。
松平家は代々この井戸の水を産湯に用いており、
1542年(天文11年)12月26日、岡崎城で松平(のちに徳川と改姓)家康が生まれた際、
松平太郎左衛門家7代当主・親長がこの井戸の水を竹筒に詰めて速馬で運び、
産湯に用いたという記録が残っているそうです。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213615.jpg)
最後は産八幡のお宮です。
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001213619.jpg)
この辺りは松平氏の発祥地として有名な松平郷。
松平東照宮の他にも高月院など、ゆかりの地も数多く存在し、観光として十分に楽しめる所でした。