太郎坊宮
太郎坊宮(たろうぼうぐう)
御祭神
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
鎮座地
滋賀県東近江市小脇町
標高350mの赤神山の中腹に建つ太郎坊宮にやってまいりました。
先ほどの雨宮龍神社でかなりの体力を使ってしまいましたので
車で登って来ちゃいました~![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20010101/20010101000310.gif)
こちらの神社は正式名称を『阿賀神社』といい、通称である『太郎坊宮』というのは
神社を守護している太郎坊という天狗の名前から取ったものであるといいます。
本来ならばこちらの参道を麓から登ってくるはずでした。
ここからでも急な階段が続いています。
まだまだ続くみたいです![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20010101/20010101000320.gif)
途中にある龍神舎の御霊水で清めます。
こんなに険しい場所に建つ立派な拝殿。
更に進んで行くと『夫婦岩』に行く手を阻まれます。
しかし、よく見ると...。
幅80cm、長さ12mの通路が通っているではありませんか!
悪心のある者が通ると岩に挟まるという言い伝えがあるのだとか。
そんな事聞いちゃうと、チョットためらいます。「駆け抜けるか?」
こうして記事を書くことが出来ているのですから、無事に通過できたことは言うまでもありませんが、
緊張する瞬間でした。
そして本殿に到着しました。
こちらの本殿はちょとだけはみ出しているのが特徴なんです。
聖徳太子が、赤神山の霊感に触れ、国家安泰の祈念の地としたのがはじまりといわれています。
平安時代には、比叡山延暦寺を開いた最澄上人が山籠し、50有余の社坊を建立。
多くの修験者が集まったのだそうです。
明治の神仏分離令が発せられるまで、神道・修験道・天台宗が相混ざった形態で信仰されてきたそうです。
山登りが続いたので、次の神社は平地である事を願い、車を走らせるのでした。
御祭神
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
鎮座地
滋賀県東近江市小脇町
標高350mの赤神山の中腹に建つ太郎坊宮にやってまいりました。
先ほどの雨宮龍神社でかなりの体力を使ってしまいましたので
車で登って来ちゃいました~
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20010101/20010101000310.gif)
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232423.jpg)
こちらの神社は正式名称を『阿賀神社』といい、通称である『太郎坊宮』というのは
神社を守護している太郎坊という天狗の名前から取ったものであるといいます。
本来ならばこちらの参道を麓から登ってくるはずでした。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232427.jpg)
ここからでも急な階段が続いています。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232431.jpg)
まだまだ続くみたいです
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20010101/20010101000320.gif)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232436.jpg)
途中にある龍神舎の御霊水で清めます。
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232441.jpg)
こんなに険しい場所に建つ立派な拝殿。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232445.jpg)
更に進んで行くと『夫婦岩』に行く手を阻まれます。
しかし、よく見ると...。
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232449.jpg)
幅80cm、長さ12mの通路が通っているではありませんか!
悪心のある者が通ると岩に挟まるという言い伝えがあるのだとか。
そんな事聞いちゃうと、チョットためらいます。「駆け抜けるか?」
こうして記事を書くことが出来ているのですから、無事に通過できたことは言うまでもありませんが、
緊張する瞬間でした。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232453.jpg)
そして本殿に到着しました。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232457.jpg)
こちらの本殿はちょとだけはみ出しているのが特徴なんです。
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001232503.jpg)
聖徳太子が、赤神山の霊感に触れ、国家安泰の祈念の地としたのがはじまりといわれています。
平安時代には、比叡山延暦寺を開いた最澄上人が山籠し、50有余の社坊を建立。
多くの修験者が集まったのだそうです。
明治の神仏分離令が発せられるまで、神道・修験道・天台宗が相混ざった形態で信仰されてきたそうです。
山登りが続いたので、次の神社は平地である事を願い、車を走らせるのでした。