香椎宮
香椎宮(かしいぐう)
御祭神
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
鎮座地
福岡県福岡市東区香椎
地下鉄から西鉄へ乗り換えてやってきたのは『香椎宮』です。
乗り換えの『貝塚駅』でキップを買うのに手こずって電車を若干待たせてしまいましたが、
駅員さんの「待ってるから、あわてないで」の一言に感謝でした。
改札を抜けて踏み切りを渡ると社号標がありました。
『官幣』の文字が埋められてしまっておりますけど、元官幣大社であることは明白です。
1km程度続く楠並木は大正15年に皇后陛下がお参りに来られた時、殺風景だったので
「お祝い」の意味も込めて植樹したのだそうです。
しばらく風景を眺めながら歩いて到着しました。
仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中橿日宮(かしひのみや、記は訶志比宮)で仲哀天皇が急逝したため、
神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源とされています。
『皇族下乗』の石碑がこちらでもありました。
当時の皇后陛下もここからは歩いて参拝されたのでしょうね。
楼門の前には桜がありましたが、まだまだ蕾も小さい状態でした。
桜が咲いたら、楼門がピンクに飾られて綺麗だろうと思いながら進んでいきました。
リップさんの記事で桜が咲いてる時の写真が見れます。こちら
楼門扉に施された『十六八重表菊』の彫刻
楼門を抜けると中門が見えます。
古くから朝廷の崇敬厚く祈願・奉幣等は宇佐神宮に次ぐ扱いを受け、
伊勢神宮、氣比神宮、石清水八幡宮と共に「本朝四所」と称された古社なのです。
本殿は香椎造という全国唯一の独特な様式で、現在の本殿は享和元年(1801年)に
藩主黒田長順公によって再建されたもの。大正11年(1922年)に国の重要文化財に指定されたのです。
入母屋造両翼に切妻造が連結されてさらに車寄せが設けられているという感じです。。。
上から見ると屋根の造りは複雑になってると思います。
玉垣の隙間から見てみると、車寄せの階段が地上から離れていることがわかります。
参道に『皇族下乗』と掲げられているので使用目的ではなく、
構造上そうなっているという事で、特に気にしないでください。
中門に聳える神功皇后が植えたと云われる御神木「綾杉(あやすぎ)」
曲がりくねった太い枝はからは勢いを感じました。
格式ある大きな神社だと思いましたが、
境内は近所の子供達が遊んで賑わいを見せていたり、地域にも愛される神社だと思いました。
九州初日の参拝はここで締めくくり、福岡駅まで戻ったのです。
御祭神
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
鎮座地
福岡県福岡市東区香椎
地下鉄から西鉄へ乗り換えてやってきたのは『香椎宮』です。
乗り換えの『貝塚駅』でキップを買うのに手こずって電車を若干待たせてしまいましたが、
駅員さんの「待ってるから、あわてないで」の一言に感謝でした。
改札を抜けて踏み切りを渡ると社号標がありました。
『官幣』の文字が埋められてしまっておりますけど、元官幣大社であることは明白です。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235615.jpg)
1km程度続く楠並木は大正15年に皇后陛下がお参りに来られた時、殺風景だったので
「お祝い」の意味も込めて植樹したのだそうです。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235629.jpg)
しばらく風景を眺めながら歩いて到着しました。
仲哀天皇9年(200年)、熊襲征伐の途中橿日宮(かしひのみや、記は訶志比宮)で仲哀天皇が急逝したため、
神功皇后がその地に祠を建て天皇の神霊を祀ったのが起源とされています。
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235653.jpg)
『皇族下乗』の石碑がこちらでもありました。
当時の皇后陛下もここからは歩いて参拝されたのでしょうね。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235657.jpg)
楼門の前には桜がありましたが、まだまだ蕾も小さい状態でした。
桜が咲いたら、楼門がピンクに飾られて綺麗だろうと思いながら進んでいきました。
リップさんの記事で桜が咲いてる時の写真が見れます。こちら
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235702.jpg)
楼門扉に施された『十六八重表菊』の彫刻
![イメージ 10](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235705.jpg)
楼門を抜けると中門が見えます。
![イメージ 11](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235619.jpg)
古くから朝廷の崇敬厚く祈願・奉幣等は宇佐神宮に次ぐ扱いを受け、
伊勢神宮、氣比神宮、石清水八幡宮と共に「本朝四所」と称された古社なのです。
![イメージ 12](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235625.jpg)
本殿は香椎造という全国唯一の独特な様式で、現在の本殿は享和元年(1801年)に
藩主黒田長順公によって再建されたもの。大正11年(1922年)に国の重要文化財に指定されたのです。
入母屋造両翼に切妻造が連結されてさらに車寄せが設けられているという感じです。。。
上から見ると屋根の造りは複雑になってると思います。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235634.jpg)
玉垣の隙間から見てみると、車寄せの階段が地上から離れていることがわかります。
参道に『皇族下乗』と掲げられているので使用目的ではなく、
構造上そうなっているという事で、特に気にしないでください。
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235640.jpg)
中門に聳える神功皇后が植えたと云われる御神木「綾杉(あやすぎ)」
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235645.jpg)
曲がりくねった太い枝はからは勢いを感じました。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191001/20191001235650.jpg)
格式ある大きな神社だと思いましたが、
境内は近所の子供達が遊んで賑わいを見せていたり、地域にも愛される神社だと思いました。
九州初日の参拝はここで締めくくり、福岡駅まで戻ったのです。