富塚鳥見神社
富塚鳥見神社
御祭神
饒速日命(にぎはやひのみこと)
鎮座地
千葉県白井市富塚
あまり聞きなれない神社だと思いますが、鳥見神社は千葉県の印旛沼北岸に集中して分布してます。
一説によると奈良県桜井市に鎮座する等弥神社を勧請したのではないかと言われておりますが、
その辺りは詳しく調べませんので。。。
この社頭の雰囲気から参拝客は居ないだろうと思ったら、居ましたね♪
周辺が住宅地なので、地元の方だと思います。
扁額には『鳥見大明神』の文字。
見てのとおりですが、拝殿が無い本殿オンリーの構え。
一間社流造の本殿は草葺から銅板葺を経て、現在は瓦葺になっているようです。
本殿は覆屋が設けられていたのですが、やはり彫刻の保護が目的だったようです。
向拝柱に巻き付いた昇竜と降竜の彫刻が目を引きます
下から見上げると龍と目が合っちゃいます♪
向拝の龍もなかなかです。
最初の雰囲気からは想像できないくらいの彫り物。
胴羽目は二十四孝で統一されておりました。こちらは【楊香】
おっぱいを吸わせてるのは【唐夫人】
歯の無い姑に乳を与えて尽くしたという話。
最後は【郭巨】でした。
それぞれ二十四孝としてはメジャーな題材だと思います。
境内にある白井市が立てた看板によると、
本殿彫刻は竹田重三郎の作であり、平成17年に市指定文化財として登録されたとの事です
御祭神
饒速日命(にぎはやひのみこと)
鎮座地
千葉県白井市富塚
あまり聞きなれない神社だと思いますが、鳥見神社は千葉県の印旛沼北岸に集中して分布してます。
一説によると奈良県桜井市に鎮座する等弥神社を勧請したのではないかと言われておりますが、
その辺りは詳しく調べませんので。。。
この社頭の雰囲気から参拝客は居ないだろうと思ったら、居ましたね♪
周辺が住宅地なので、地元の方だと思います。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013857.jpg)
扁額には『鳥見大明神』の文字。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013902.jpg)
見てのとおりですが、拝殿が無い本殿オンリーの構え。
一間社流造の本殿は草葺から銅板葺を経て、現在は瓦葺になっているようです。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013906.jpg)
本殿は覆屋が設けられていたのですが、やはり彫刻の保護が目的だったようです。
向拝柱に巻き付いた昇竜と降竜の彫刻が目を引きます
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013911.jpg)
下から見上げると龍と目が合っちゃいます♪
![イメージ 5](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013916.jpg)
向拝の龍もなかなかです。
最初の雰囲気からは想像できないくらいの彫り物。
![イメージ 6](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013920.jpg)
胴羽目は二十四孝で統一されておりました。こちらは【楊香】
![イメージ 7](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013923.jpg)
おっぱいを吸わせてるのは【唐夫人】
歯の無い姑に乳を与えて尽くしたという話。
![イメージ 8](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013927.jpg)
最後は【郭巨】でした。
それぞれ二十四孝としてはメジャーな題材だと思います。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/u/unkotarezoudaze/20191002/20191002013931.jpg)
境内にある白井市が立てた看板によると、
本殿彫刻は竹田重三郎の作であり、平成17年に市指定文化財として登録されたとの事です