飯綱神社

飯綱神社

御祭神
宇迦御魂命

鎮座地
千葉県八千代市萱田


住宅街の外れにある小高い丘に鎮座されておりました。
参道入り口が分かりにくく、気付いたら車で境内に入っていました。

帰りに撮りましたが、おさらくここが参道入り口ではないかと。。。
いきなり急な階段ですね。

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階段を登り切ると目の前を覆い尽くすような大きな鐘楼がありました。
元はお寺だったんだね~。

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太田道潅が、米本城を攻めたとき、この地に陣を張って戦い、
その時、守り本尊である十一面観音菩薩に祈願し、「戦勝あらば尊像はこの地に埋める」といい、
苦戦しながらも勝利したので、陣の北東の地中に埋めて引き上げていったといわれます。

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それから約140年後、村人に神託があり、その場所を掘ると、光り輝いた十一面観音が現れ、
お堂を建ててこの像を安置したのが始まりだそうです。(神社になったのは明治時代から)

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そんな歴史のあるこの神社で、気になるのは玉垣に彫られてる『二十四孝』の彫刻。
普段見かけることの無い題材のものを見てみます。
なお、親孝行の話としては微妙なものです(笑)

呉猛(ごもう)
家は貧しく、蚊帳を買う金もなかったので、自分の着物を親に着せ、
自分は裸になって蚊に刺され続けたという話。

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庾黔婁(ゆけんろう)
父の病状を医師に尋ねたところ、病人の便を舐めて、甘く苦ければ良かろうと言われます。
庾黔婁は簡単なことだと言って舐めてみると、味が違ったので父の死を悟り、
北斗七星に身代わりになることを祈り続けた。

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王裒(おうほう)
母は雷が怖い人であったため、その死後も雷が鳴ると、王裒は母の墓に駆けつけた。

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他にも多数ですが、二十四孝についてはそのうち記事を書いてみようと思っています。
全部の題材が見れるのは私が知る限り、四社しか思い浮かばない。
表現が難しいものもあるので貴重な存在だと思いました。