沼名前神社
沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)
御祭神
大綿津見命
須佐之男命
鎮座地
広島県福山市鞆町後地
石畳の参道を進んで行くと鳥居が見えてきました。
今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、
御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、
この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀って、
海路の安全をお祈りになられたのが、始まりだそうです。
旧社格は『国幣小社』 社格制度自体が廃止されてるので
コンクリートで潰されてますが、格式ある神社なのです。
二の鳥居はちょっとユニーク。
笠木の先端に鳥衾(とりぶすま)と呼ばれる
鳥が止まってるような飾りが付けられていましたよ。
標柱に彫られてるのは古事記の序章の文章らしいです。。。
参道にはこのような青銅灯篭が多く備えられていましたが、
相当な豪商がいたのでしょうね。東照宮とか大きな神社で見る機会が多いです。
一部コンクリート造ですが大きくどっしりした構えの拝殿
基本的には権現造、複雑な形式を見せる複合型の社殿ですね。
それにしても大きかった。
山の中腹とはいえ、境内は広くて大型の境内社が並んでました。
本来は脇社があったりする位置だと思いますが、
この場所に神馬が奉納されてるのは初めて!
他には境内の片隅に力石がたくさんありました。
手前にズレてる物を直そうとしたのですが、重くて断念。。。(笑)
おもかる石のように力を入れれば持ち上がるというものではありませんでした。
昔の人は力比べで軽々と持ち上げていたのでしょうね。
御祭神
大綿津見命
須佐之男命
鎮座地
広島県福山市鞆町後地
石畳の参道を進んで行くと鳥居が見えてきました。
今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、
御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、
この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀って、
海路の安全をお祈りになられたのが、始まりだそうです。
旧社格は『国幣小社』 社格制度自体が廃止されてるので
コンクリートで潰されてますが、格式ある神社なのです。
二の鳥居はちょっとユニーク。
笠木の先端に鳥衾(とりぶすま)と呼ばれる
鳥が止まってるような飾りが付けられていましたよ。
標柱に彫られてるのは古事記の序章の文章らしいです。。。
参道にはこのような青銅灯篭が多く備えられていましたが、
相当な豪商がいたのでしょうね。東照宮とか大きな神社で見る機会が多いです。
一部コンクリート造ですが大きくどっしりした構えの拝殿
基本的には権現造、複雑な形式を見せる複合型の社殿ですね。
それにしても大きかった。
山の中腹とはいえ、境内は広くて大型の境内社が並んでました。
本来は脇社があったりする位置だと思いますが、
この場所に神馬が奉納されてるのは初めて!
他には境内の片隅に力石がたくさんありました。
手前にズレてる物を直そうとしたのですが、重くて断念。。。(笑)
おもかる石のように力を入れれば持ち上がるというものではありませんでした。
昔の人は力比べで軽々と持ち上げていたのでしょうね。